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INTRODUCTION 神戸シューズとは

CONCEPT コンセプト ケミカルシューズの発展を機に地域ブランド「神戸シューズ」へ

神戸の歴史の中で、今も受け継がれている産業のひとつが「靴づくり」。
時代と共に変化し、発展を遂げて「神戸シューズ」が生まれました。

ゴム工業からゴム履物へ

神戸でのゴム工業の始まりは、明治42年にダンロップ(極東)会社の設立が契機になったと言われています。自転車タイヤやチューブを主に作っていましたが、大正中期にゴム履物製造業が始まりました。戦前には147社の工場が稼働。戦災で工場面積の37パーセントを焼失するという被害を受けながらも、昭和25年には203社に達しました。当時は地下足袋、ゴム底布靴、総ゴム靴などを作っていました。

ケミカルシューズ開発

その後、昭和26年1月の生ゴム統制解除と、続くゴム製品の統制撤廃で、生ゴムの価格が暴落し、それに合わせてゴム履物の価格も低下。倒産する会社もありました。昭和20年代中頃、神戸市外にあるゴム履物メーカーが大量生産に踏み切ったため、神戸の製品は価格競争に勝てなくなり、ケミカルシューズが開発されました。ケミカルシューズとは、「甲に合成繊維、合成樹脂又は合成皮革を、本底にゴム若しくは合成樹脂又はこれらの混合物を使用し、甲と本底とを接着剤により接着したくつ(運動ぐつを除く)」(家庭用品品質表示法施行令第1条別表1の9、中小企業近代化促進法施行令第2条の92、第3条の33)のこと。昭和29年4月1日から3日間、駒ヶ林中学校の講堂で行われた「国鉄新長田駅開通記念ゴム製品展示会」で発表されました。

神戸シューズへと進化

昭和32年2月21日、206名の業者によって立ち上げた「ケミカルシューズ工業会」の設立総会が開かれました。ケミカルシューズ工業会は、昭和34年5月にケミカルシューズ工業組合に改組し、昭和38年12月には対象地域を全国にして「日本ケミカルシューズ工業組合」となり、現在に至っています。
ケミカルシューズの全国的な大ヒットを機に、神戸は靴メーカーを中心とした関連企業が集積する靴の一大生産地「靴のまち」へと発展しました。「京の着だおれ」、「大阪の食いだおれ」と並び、「神戸の履きだおれ」とも称されているほどです。その後「靴のまち」として培われた長年の技術力に加え、神戸ならではのファッション性や機能性を備えた新しいデザインにも挑戦し、幅広く、様々な商品を展開。ケミカル素材にこだわらない靴づくりから、「神戸シューズ」の名称で親しまれるようになりました。靴への思いやこだわりが形になった「神戸シューズ」。ぜひその高い品質をお確かめください。

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